大掃除など

気づいたらもう年末で、昨日から慌てて年賀状を作っていたらプリンターが壊れた・・・
仕方なく今朝からプリンターを買いに行き、年賀状の続きを印刷しながら大掃除。年内は29日まで仕事なのだが、最終のゴミの日が30日なので、大掃除もこの週末にやらなければならない。バッタバタの週末だったけど、どうにか年賀状はできあがり、部屋も多少片付け、あちこち拭き掃除などもした。
部屋の片付けに関しては不満が残る。忙しかったり、体調がイマイチだったりで、なかなか片付ける気力が湧かずにいたら、どこから手をつけていいか分からないぐらいになる。1日1箇所は片付けるようにしていたのだが、ちょっと油断するともう大変。明日からまた、ぼちぼち頑張ろう。

いろいろあったのだが

仕事が忙しかったり、タランティーノの映画を観にいったり、ハリーのライヴを観にいったり、伊坂幸太郎の新刊が出たのでそれを読んだり、いろいろやってるうちに時は流れて、しかしながらこっちの更新はすっかり止まってしまっている始末。とほほほ。
と、これだけだと、平日普通に仕事して、休日遊んでただけ、みたいな話になってしまうのだが、これ以外に大きなイベントが発生して、今なお進行中であり、かなりバタバタしたりパニクっていたりもして、じっくり文章を書こう、という状況ではなく、もうちょっと落ち着いたらちゃんと更新しようと思いますが、うっかりしているとあっという間に時は過ぎてしまうぞよ、ということを今一度肝に銘じなければ、と、ちょっぴり反省してみたりもしている…。

その気になれば意外にできるんじゃん

会社をあげての残業撲滅が本格化してきた。事業部ごとに残業の目標上限時間が設定され、残業手当の対象となる社員には、個人別の上限値が言い渡された。ただ、どうやって達成するかは明らかになっていない(事業部に一任、らしい)。残業ゼロを掲げた事業部もあったが、月間で一人平均20時間ほどあったのを、どう捌くのか見ものである。
もちろん、わたしが属する事業部も例外ではなく、一人5時間〜10時間に設定された。自分も早く帰りたいが、以前に書いた残業体質の社員も含めて、若手も早く帰らせなければならない。
どうしたものか、と思いながら、とりあえず、定時前に残作業の確認のための声掛けを始めてみた。
1週間ぐらい続けてみたら、「もう帰れます」「これが終わったら帰ります」という答えが返ってくるようになって、実際にわたしより早く帰るメンバーも増えてきて、他のメンバーもほとんど残業をしていない。なんだ、その気になればできるんじゃないか。
もう一つ、作業管理をするために、Redmine(日本語情報のサイトはこちら)というツールを導入してみた。バグが出たとか、機能を追加するとか、プロジェクトに関わる一つ一つの作業を登録し、ステータスや進捗状況を管理する。情報が更新されると、関係者に自動でメールを飛ばす機能などもある。しかも無償!他部署で使っていたのを真似させてもらったのだが、メンバーも面白がって?活用してくれている。たまに更新が滞ったりもするが、「更新してちょ〜」と情報を流すと、慌てて更新してくれたりして。
でも、全体の作業が(滞っていることも含めて)見えるようになったおかげで、プロジェクトの管理がしやすくなった。元々、メンバーの一人が「残作業の管理をしたい」と言って、それで導入してみたのだが、自分のやるべき作業が明確になって便利だ、と言ってくれて、嬉しく思う。ただ、「今は活用しているから効果が出ている」のであって、どんなソフトウェアや道具を使っても、活用しなければ意味がないってことを、忘れてはいけない。
早く仕事を片付けよう、せっかくのツールを活用しよう、という意識は、まだ芽を出したばかり。根気よく、大事に育てていかなければ。
(残業ネタの記事も増えてきたので、新しいカテゴリも作ってみた)

何故人は花を見て肉を焼いて喰らうのか

公園で咲いてたバラ

近所の公園のバラが見頃だという情報を得て、ちょっと散歩に行ってきた。バラが咲いているエリアでは、くつろいだり絵を描いたり、写真を撮ったり眺めたり、という人たちがたくさんいて、それは全く問題ないのであるが、その外のエリアには、少し広いスペースがあって、何組かのバーベキュー客がガンガンに肉を焼き、周辺が焼肉くさーくなっていて、なんだかガッカリした。
桜の季節ともなれば、そのエリアは桜の木がたくさんあって非常に美しいのだが、それに引き寄せられるように、バーベキュー客がわらわらと押し寄せてきて、桜の森の満開の下、そこかしこで肉を焼きまくり、酔っ払って暴れ、大量のゴミを捨てて帰る。もう最悪なんである。
ちなみに、公園内はバーベキュー禁止だ。
何故わざわざ、バーベキュー禁止の公園へ来て、バーベキューをしたがるのか。キャンプ場でも行けばいいじゃないかと思う。ゴミもちゃんと持って帰るようにね。
日本バーベキュー協会がまとめたマナー集があったのでリンク貼っておこう。
http://www.jbbqa.org/bbq_master/bbq_manner.htm
マナーを守って、楽しくおいしいお肉をいただきたいものだ。ちなみに、わたしも焼肉は大好きである。

進化し続ける人

ライ・クーダーニック・ロウの大阪公演を観て来た。

といっても、わたし自身は、どちらも名前ぐらいしか知らず(多分、うちにCDはあるのだと思うが)うちのひとが行きたいと言って、会場が自宅のすぐ近所だったので、行ってもいいかな、というぐらいの軽いノリで、出てきたおじさん2人が、どっちがどっちなのかも分からない始末。過去にもよく分からないまま連れて行かれるということは何度かあって、「キャリアの長い人たちのライヴは、さすがの実力で、曲を知らなくても楽しめる」という経験則もあって、なーんの予習もせずに行ってもやっぱり楽しかったのだが、写真ぐらい見ていけばよかったと、さすがに思った…。
帰り道、うちのひとも、一緒に行った友人も、「すごいわーうまいわー」と言い続けていたが、そんな話を聞きながらふと思った。
一流と呼ばれ、長いキャリアを積んでいる人でも、インタビューなどで「もっとうまくなりたい」なんて、サラリと言ってのけたりするが、そこまで打ち込める何かに出会う、ということも大変だし、一流と呼ばれるレベルに達することも大変だし、そこから「もっとうまくなりたい」などと、さらなる高みを目指すのも大変だと思う。まだやるかー?という気すらしてしまう。そもそも、一流になりたいという野望もない。
でも、そこまでがんばらないにしても、「ゼロ成長」はやっぱり嫌で、「昨日よりももうちょっと」というぐらいの気持ちはあって、そんなことを思いながら、試行錯誤する。どうやったらもっとうまくいくか、工夫する。そうやって、毎日少しずつ進化する。
以前、The Whoの大阪公演を観にいった時、ピート・タウンゼントが「ジャンプするには年を取りすぎた」と言っていた。そりゃ年を取れば、ステージの上でジャンプはできなくなるだろうけど、そのジャンプを補って余りあるものを積み上げて来たわけで、ライ・クーダーしかり、ニック・ロウしかり。大小はさておき「日々積み上げていく」ってことが、大事なんだろうな。

あったらあっただけ使ってしまう

更新間隔がまたどーんと開いてしまった。本当に「細々と更新」になってきた。こりゃアカン(いや、別にアカンことはないのか?)

相変わらず、残業削減活動をやっているが、下期に入ってから、上期以上に我々を取り巻く環境は非常に厳しく、残業についても今まで以上に厳しい削減が要求されることは必至の状況。残業といっても、一定以上のランクの社員には裁量労働制が適用されており、残業がつかない。対象となるのは、裁量労働制が適用されない若手を中心とした人たちである。残業削減≒若手の努力、あるいは、残業削減≒マネジメント能力の強化、という状況になっていて、要は、老いも若きも、偉いさんもペーペーも、みんな本気で考えなきゃいかんよ、ということである。

わたしは管理職ではないが、部署内でも職位が上の人は営業やらコンサルやらで出張が多く不在がちのため、実際に若手の面倒を見るのは、出張嫌いゆえに留守番をさせてもらっているわたしの役目となっている。社内で「残業削減委員(兼、ワークライフバランス推進委員)」でもある以上、若手の残業体質を見過ごすわけにはいかず、かといって、仕事のやり方に口出し手出しをするのもいかがなものか、と、なかなか悩ましい日々を送っている。

そんな中、仕事が終わっていないと、「残ってやります」「土曜日に来ます」というのが口癖になっている社員がいることに気がついた。残業しようが徹夜しようが休日出勤しようが、誰に怒られるでもなく(恋人に振られたりすることはあるかもしれないが)、仕事をしていても何の問題もない環境にあるうえに、若さゆえに体力もそれなりにあるので、深夜まで会社にいることがさほど苦にはならないらしい。ただ、そんな状況で集中力が続くはずもなく、やはりミスが多くなり、その対応に余分な時間を割くことになる。結果、仕事が終わらなくなり(以下繰り返し)…。

その一方で、次々に飛び込んでくるトラブル対応をこなしながらも、きっちり定時に帰る者もいる。定時後に習い事があったりして、時間の制約があるせいか、様々な工夫をしながら、仕事を着々と片付けている。

両者を比べてみて思うのは、時間というものは、あったらあっただけ使ってしまうものなんだなぁ、ということ。タイムイズマネー、というのはそういう意味ではないけれど、なんだか似ているような気もする。

何かを完成させたい欲求

テレビのCMなどでもおなじみの、デアゴスティーニという出版社がある。「パートワーク」というそうだが、毎週、あるいは隔週で、何かを体系的に学んだり、何かのコレクションができたり、何かの模型が完成したりする、そのような出版物を刊行している。その内容がまた魅力的だったりして、創刊号だけは半額以下の破格値ということもあり、つい買いそうになったことも一度や二度ではない。「刑事コロンボDVDコレクション」は本当に買いそうになった。が、全部揃えたらいくら掛かるんだ?と計算したところで冷静さを取り戻すのが常である(なので、結局「コロンボ」は買わなかった)。
ところが、うちのひとが先日いきなり、「東宝特撮映画DVDコレクション」を買ってきてしまった。創刊号は990円、2号からは1990円、全55冊だそうだ。出費もさることながら、そのDVDや冊子をどこに片付けるつもりなんだ?と思っていたら、偶然にも、うちのひとの友人が最近、零戦を作りはじめてしまったらしい。零戦かぁ・・・きっと大変なことになるに違いない。ちなみに、全100冊だそうで。ご愁傷さまです。
そんな話を聞くと、男ってやつは、何故そんなものをつい買ってしまったり、ハマってしまったりするのか、とぼやきたくなってみたり、不思議に思ったりするのだけれど、コレクションにしても、模型にしても、そもそも人は何故それを「完成させたい」と思うのか、そこが一番不思議。