過程と結果
「過程はどうであれ、結果が全て」などと言われることがある。「過程」は「方法」と言ってもいい。例えば仕事をしていれば、どんな方法であれ、売上と利益が上がればOKみたいな話がある。いくら一生懸命やったって、結果が出なければ意味がないとか。
とはいえ、結果が出なかったら、相手にとっては意味がないかもしれないけれど、それでも、やったことによって、自分にとっては必ず意味があるはず。成功にせよ失敗にせよ、その原因は、自分がやったこと、つまり過程にあるはずだから。もっとも、そこを振り返ったり、意味を考えることがなければ、全てが無駄になってしまうのだけど。
最近、何か分からないことがあっても、ネットで簡単に答えが見つかって、やり方も書いてあったりして、考えなくても書いてあるとおりにやれば何となくできてしまう。何故そうなるのか、何故そうするのかを考えない。考えないから理解もできなくて、では新しい何かをやってみましょう、となった時に、持てる知識や経験を総動員して何かを導き出す、ということもできなくなってくる。
・・・今日たまたま、やり方が思いつけずにネットで探して見つけたサンプルコードを改造したら思うように動かなくて、半日ぐらい四苦八苦する羽目になっただけなんだけど。理由は多分こういうことなんだと反省。