珍しく伝記を読む

1週間ぐらい更新をサボってしまった。半期末で仕事が忙しかった上に、夢中になっていた本があって、さすがにブログを書く時間までは取れなかった次第。
シルバーウイーク中にNHKで3夜連続で放送されていた白洲次郎のドラマを2日目から見ていたのだが、なんだか興味深い夫婦だなぁと思って、「白洲正子自伝」と、白洲次郎が雑誌などに寄稿した文章を集めた「プリンシプルのない日本」を買ってきて読んでいた。
少し話はそれるが、普段は伝記はほとんど読まない。キュリー夫人とか、ヘレンケラーとか、ナイチンゲールとか、親にしてみれば立派な女性に育って欲しいと思ったのだろうが、そのようなものは小学生の頃には一応読んでいた。とはいえ、「ラジウムを発見した」と言われても、見たことないもんだから、エジソンの発明ほどのインパクトはなかったし、わがままなヘレンよりも、サリバン先生の方がどう考えても偉いとしか思えなかったし、ナイチンゲールあたりは素直にすごいなぁと思えたけど、それを目指そうとは思わなかった。(それにしても、当時はなんとも思わなかったが、偉大なる発見をした科学者に対して、キュリーさんの奥さんという呼び方はあんまりだよね)
その後はほとんど伝記や自伝の類は読まず、立派な女性にもならず、読んだのはオノ・ヨーコぐらい。「白洲正子自伝」は、それ以来10年以上ぶりに読む自伝となった。
しかし、自伝といっても、雑誌に連載されたエッセイらしくて、いろいろなことをとっかかりに、関連の場所を訪ねて当時のことを思い出して書く、という感じで、体系的なものではなかったのだけど、そのやんちゃぶりは充分に伝わって、楽しく読めた。
一方、「プリンシプルのない日本」の方は、戦後の経済状況が悪い中で、政界や経済界は何をやっておるのか、と、時には直球で、時には皮肉で、とにかく攻撃の手を緩めない。「初めてぼやき漫才というものを見て笑ってしまった。鏡に映った自分を見ているようだ」というようなくだりがあって、こっちも笑ってしまったが、それこそ「責任者出て来い」という勢いで、世の中を憂えてぼやきまくっていた。
さらに読んでいて驚いたのは、書かれたのは1950年代〜60年代にかけてのことで、半世紀前であるにも関わらず、今とあまり変わらないようなことが普通に書いてあったりすること。例えば、家でニュースを見ながら夫婦でぼやいてたことと、同じことが書いてある、みたいな。麻生さんや鳩山さんやらの親の世代の皆さんがそろって登場するあたり、歴史のめぐりというか、何か因縁めいたものも感じたりもする。文体はかなり砕けた話し言葉に近い部分があって、最近はあまり見ないような言い回しや漢字も使ってはいるものの、ブログを読んでいるような感じもして、こちらも大変興味深く読んだ。
ちなみに、プリンシプルというのは、原則とか主義とかいう意味の言葉だそうだ。自分の中のゆるぎないもの、とでも言えばいいんだろうか。自分にはそういうものがあるんだろうかと、たまには自問してみるのもいいかもしれない、とも思った。