正しい言葉を選んで、正しく並べること

以前にもちらっと書いたことがあるような気もするが、どういうわけか、どこぞに載せる文章を書いてくれとか、誰かが(主に若手が)書いた文章のチェックをしてくださいとか、頼まれることがやたら多い。若手の書いた文章をチェックして返すと、口では「ありがとうございます」と言いながら、「ここまで細かいかー」と言いたげだったりするのでつらいところだ。いじめているつもりは全くないのだが、いろいろ気になるだけなのだ(こんないい加減な文章を書いているくせに)。
先日、「バカ丁寧化する日本語」という本が目に留まったので、買ってきて読んだ。で、自分の思いを正しく伝えること、言葉を正しく選ぶということについて改めて考えた。
著者の言うように、紋切り型の敬語には心がこもらない、というのは何だか分かる気がする。たとえばメールで「mayukosanと申します」と名乗ったりする。初めての人なら「申します」でもよいだろうけれど、しょっちゅうメールのやり取りをしている相手にも毎回「申します」というのは変だよね、と思うのだが、まるで「申します」と書くのがルール、と頑なに思い込んでいるかのように、毎回「申します」と書いてくる人がいたりする(同様の例が本文中にもあった)。見慣れた名前の人のメールを開けて「申します」と書いてあると、「知ってるよ!」と言いたくなってしまう。形だけの敬語よりも、心のこもった一言が嬉しいということは、往々にしてあるものだ。とはいえ、敬語の間違いはやはり失礼にあたるわけで、やはり注意しなければならない。
敬語に限らず、言葉には意味があるから、意味の違う言葉を使ってしまうと、当たり前だが正しく伝わらない。修飾語の順番や、句読点の打ち方という細かいことで、どの言葉がどこにかかるのか、解釈が変わってくるし、最悪の場合は全く意味不明になってしまう。正しい言葉の意味を知り、正しく並べるということは、自分の思いを伝えるためにも、相手の思いを理解するためにも、必要なことだ。
とはいえ、言葉というものは変化する。アンケート調査などで、圧倒的多数の人が間違った意味で覚えているような言葉について、「正しい意味」にこだわることがそんなに大事か?とも思う。「正しい意味」で認識している人の方が少ないなら、ほとんどの場合に「間違った意味」で相手に伝わってしまう、ってことは、「間違った意味」で使った方が言葉どおりに伝わる、ということになってしまう。どうすりゃいいんだ。
また、友人に書くメール、ブログの文章、取引先に書くメール、報告書、議事録、操作マニュアルなどなど、書く文章によって文体も変わるし、書くべき内容も、用語のシビア度も違ってくる。友人へのメールやブログはニュアンス重視だし、報告書などは事実を簡潔に記載することが重要。書くものに応じた適切な言葉の選び方、文章の書き方というものがある。何年やっていても、毎日が修行の連続である。

■今日聴いた1枚
天使たち/The Street Sliders
The Street Slidersとの出会いは「Angel Duster」だった。初めて聴いて好きになった曲って、何年経ってもやっぱり好きで、時々聴きたくなっては引っ張り出してくる。